まゆたまガジェット開発逆引き辞典

電子工作やプログラミングのHowtoを逆引き形式で掲載しています。作りたいモノを決めて学んでいくスタイル。プログラマではないので、コードの汚さはお許しを。参照していないものに関しては、コピペ改変まったく問いません

コンピュータビジョン・拡張現実感に関する普通じゃない勉強会2.0 行ってきました!

ということで、明大の心臓破りの坂に徹夜明けの身体が悲鳴を上げつつも、がんばっておしゃべりしてきました。
感覚器官に一切頼らず、センサのデータだけで世界を認識する修行をする作品「S/N-R ToolKit」をプレゼンした、AR人体ハックの人です。

今日お話した内容はあえてフザけたこと言ってますが至極真面目なネタで、人間の認知限界は訓練によって上げられるという実体験から来てます。

あ、タイムテーブルの「?R」の部分、直前に変えました^_^;
タイムテーブルでは、「ARを用いた身体感覚改造レッスン- いつか出会う「あっち」の世界の嫁のために-」となってます。
ちなみに"S/N-R"はシグナル/ノイズ+リアリティです。シグナルは「あっち」でノイズは「こっち」。


私は元々、何らかのルールに従って身体を動かして音楽を演奏する、ということを長い間やってきました。
そのルールは単純に「叩かれたら回る」

というものであったり、2進数の足し算であったりといろいろですが、

・頭で計算
・身体を動かす
・楽器を演奏

という3つのタスクがほぼ同時に起こっているのが特徴です。
これを同時に行うのは相当な修行が必要ですが、慣れれば計算をしているということを忘れて、自分が「演算する身体」になっているように感じることがあります。自分は単なる演算子である、みたいな。

今回おしゃべりした「あっちの世界へ行く」作品も、おおもとはその「"自分が単なる演算子である"と感じた経験」から発想しています。

詳しくはこちらのスライドをご覧ください。

勉強会感想

みなさんプレゼン上手い!さすが工学系の方々が多いだけあって、学会発表でみなさん慣れていらっしゃるんですね。
さてさて、各プレゼンターさん別に内容を簡単にまとめてみました。
(勘違いあったらゴメンナサイ)

・WIMPAR : 実世界でGUIを使いたい(aimino)
ArduinoとARを組み合わせたシステム。「クリッカブル(クリック可能な世界)」とはまさにこのことですね。

・SR : 二次元に入ってみた(chakki)
画像処理の王道といったところでしょうか。例えば手のひらを認識させてその上にミクを乗せて可愛がるとか。

・AR : 全周囲裸眼立体ディスプレイを用いた2Dループゲームの提案(吉田 匠)
すべての視界が映像で覆われる円筒状のディスプレイにゲームを投影。これ実際に体験したことないから何とも言えないですが、没入感はどれくらいあるんでしょうか?

・PR : 拡張現実戦争 - 見えざる星の海、東京へ(akio0911)
戦争ゲームモノです。みんなでiPhoneを持って外に出て、協力しつつ(現実には見えていない・AR表示されてる)ボスを倒すとか。これはみんなで協力してる感が大事だと思うので、そのあたりのコミュニケーションサービスをどう作り込むかもキモだと思います。近いイメージとしては、電脳コイルの生物部夏合宿の話のスケールが相当デカい版みたいな?

・JR : モバイルデバイスを空間にしてしまおう(niryuu)
表からでも裏からでもタッチ操作できるモバイルデバイスのお話でした。「Tシャツ」と書かれたTシャツを着てる、とてもナイスな方がプレゼンされていました。なんというメタな・・・!

・XR : AR Cooking 素材の組み合わせは∞(無限大)?(大江貴志)
ARマーカーを4つに分割して組み合わせることで、パズルみたいにマーカーを作れないかという試みでした。

・πR : 盛り上がるディスプレイ「PhotoelasticTouch」(佐藤俊樹, 福地健太郎)
えー、なんと申しましょうか。自作の柔らかい触感ディスプレイの紹介でした。これはやはりエロティックな分野でオリエント工業あたりと組むべきですね。ええ。
本来質感のないものに質感を与えるという分野の研究です。

・AVR : ARを用いた身体感覚改造レッスン- いつか出会う「あっち」の世界の嫁のために-(津坂真有)
感覚器官に一切頼らず、センサのデータだけで世界を認識する修行をする作品です。荒唐無稽に聞こえますが、実体験から発想していて、修行すればできるようになるでしょう。なにせ文字化けを読める人がいたり、パケットログを見るだけで攻撃がわかる素敵な方々もいらっしゃるわけですから・・・
人間の認知限界はありますが、テクノロジーの力を借りて修行すれば、もっと伸ばせるハズ!
・・・と言ってみたり。

・∀R : 生と死を越えるリアリティ(宮下芳明)
亡くなった人が生前いた場所のGoogleストリートビューを観ることとは。確かに例えばライフログBotに解析させて、その人が生きているかのように振る舞わせることは可能だと思います。

ARにおける身体感覚、身体論

近いうちにきちんとこれらを言語化したい。
私がおしゃべりした作品みたいに完全に「あっちの世界」へは行かず、「あっち」と「こっち」の狭間にARはあります。
最初のトークセッションでも言われていましたが、トトロの世界だったり、幽霊がいる世界とも言えますね。
だけど、現実感は脳の内側にある・脳が作り出したものだから、「何が現実で何が違うのか」というのが「人によって違うじゃん?現実だと思うなら現実なんだよ」と言えてしまう。
それが、ARを身体論から語ることを難しくさせています。
まさにデカルトの「我思う故に、我あり」状態になってしまう。
いや、確かにデカルトだけじゃなくて、ドゥルーズや西洋形而上学ライプニッツプラトンイデア論とか哲学や記号論のほうから考えることもできる。
だけど、どうも実体が伴ってないように感じちゃうんですよね。

ちょうど先月だったかな、記号学会で「VRを記号論から考える」みたいな発表があって、まさに「リアルは人によって違うからこういうこと考えるの意味ないんじゃね?」みたいなことを記号論の専門家さんが言われていて、VRですらそんなこと言われるならARならどうなるんだろ・・・とビビってます。

あえて何らかの理論を組み立てられるのだとしたら、理論をひも解いていったり作ってて考えるんじゃなくて、特定のARシステムを1週間とか身につけて生活するとか身体に直接聞いてみて、それから考えるという方向しかないのかなと。

さてさて、今後ARはどういう方向に行くんでしょうか?