まゆたまガジェット開発逆引き辞典

電子工作やプログラミングのHowtoを逆引き形式で掲載しています。作りたいモノを決めて学んでいくスタイル。プログラマではないので、コードの汚さはお許しを

電脳化する世界を巡って(各パネラーが入れ替わり立ち替わりしゃべるので慌ただしい。ひとり二言三言で終わってしまい内容がかなり薄かったのが残念)

・ARが普及することで消費に繋がるような情報がリアルタイムに交わされて、その履歴がその場に残る
・タグが多いところはそれだけ活発な場なので、たくさんの情報が交わされる。そこからいかに有用な情報を拾い出していくか。その情報をどう生かしてその場・空間を新たに構成していくか
・歩いて汗をかかないとコミュニケーションできない。その場の情報から生々しい感覚を得たり記憶を思い出すなど、最終的に直感に働きかけるものが必要

・ARにクリエイターとして関わるとき、身体性を理解して作らなければいけないのではないか
→ものすごく同意します。ARは現実世界とネットも含めた仮想世界の狭間に位置するもので、現実世界とも仮想世界とも違う身体性が生まれる可能性があるような気がしています。個人的には。

セカイカメラにおいて、頭で考えて体でタグを飛ばす感覚にはギャップがあり、その間を埋めていく必要がある
→タグを飛ばす感覚というものが浸透して初めてギャップが無くなるのは自明ですね。やはり身体で理解するために長期間使用して人体実験を・・・

・現実を支えるモノは触れることができて、聞こえて、臭うモノ。しかし現実に安定感を与えているのは見えないもの
・市民生活で何かにタグを付与することで、社会環境を円滑化して、結果コミュニティを見守ることができるのでは

・特殊だったり特徴的なモノや人、コトだけにタグをつけるという考え方
→タグを背負うということの意味とは?

・ARを社会の文脈から分析した上で、制度整備やガイドラインが必要なのではないか



今回のシンポジウムで語られたARは、現実の場所等の情報の解像度を上げてビジュアライズするという定義な感じ。
現実と(ネットの社会も含む)仮想世界が交じり合うという意味での広義のARではなかったような気がしました。
なので今回のシンポジウムは、ARそのものに関する可能性じゃなくて、都市におけるARの可能性と問題点っていうふうに考えたほうがいいかもしれないという感想を持ちました。

今回シンポジウムを聞いて、個人的にARの問題点をあげるとすると、
・人にタグをつけるということは、他者を攻撃することに繋がる
・ノイズをどう取るか。特殊な人・モノ・コトがタグを背負うことで解決するのか。また、タグを背負うことによる社会的責任が発生しないか
・ARが普及することで「現実感」という言葉の定義がさらにあいまいになる。しかし、あいまいになったらなったでそういう社会や身体性を作り出すのも片方でアリだとも思う

といったところでしょうか。
AR commonsの今後の発展に期待!